「猫の日」をきっかけに考えた、僕が猫をもっと好きになった理由
猫にデレデレ(*´∀`*)、のぐちょ(@yuukinogutyo)です♪
2月22日は「猫の日」でしたね!
インスタ見てもTwitter見ても可愛いニャンコ目白押しで、猫好きな僕としては至福な時間でした♪
誰だ!猫の日なんて考えた奴!最高かよ(*´∀`*)
猫が好きで行動がおかしい
猫好きあるあるかもしれないので、目新しいことはありませんが、以下の感じです。
・猫がいそうなところは必ず見てしまう(路地裏とか屋根の上とか)
・遠くにいる猫も見逃さない(離れているのに遠くで動く物陰にいる猫を発見)
・雨の日は雨よけになりそうな所をつい見てしまう(車の下など含む)
・猫を見つけるとそ〜っと近づく、ゆっくり追いかける
・猫に向かって声をかける
・デレデレになる
・集団行動を乱す(一人で勝手にいなくなる←猫を探しにor猫を見つけて)
もっとありそうですが、猫好きの方ならどこか共感できるところがあるんじゃないでしょうか?
え?オレだけ?(* ゚ω゚ *)
実は僕のこういった変な行動は昔からではなかったです。
正直昔はもっとドライというか、好きですけどどこか今と違うというか…
もっと冷たくあたっていたかもしれません。。
その辺について書いてみます。
実家にいたとき猫を飼っていた
僕の実家では猫を飼っていました。
僕が「猫が欲しい!」と両親にお願いして子猫を譲り受けてスタートしました。
今はもういませんが、僕が小学校低学年の頃に初めて猫が家族になり、亡くなったのは僕が大学生のころ。
長生きしました、悲しかったですがそれが救いでした。
「猫を飼っていたから猫好きなのか?」
半分そうで半分は違うような気がします。
確かに猫を飼っていたので猫好きになりました。でも実家に猫がいたころ、僕は愛猫にひどいことしたと自覚してます。
猫を飼うことはキレイなことばかりじゃない
実家で猫を飼っているときは、最大で7匹いました。
最終的には2匹くらいになりましたが、7匹の頃はいろいろ大変でしたね(; ^ω^)
田舎でしたし猫は屋内ではなく、好きに外に出入りできるようにしていました。
なので、うちのニャンコは泥だらけで帰ってくることも頻繁でしたし、鼠を捕まえて来て深夜の廊下で大運動会は毎日。
スズメやセミを捕まえて来たりして、捕まえられた方は家の中で大暴れ。
翌朝起きると廊下に必ず死骸が転がっていました。それが毎日です。
出入り口から、野良猫や他の家の猫が入ってきて、夜中にトイレに起きると台所で遭遇してビックリしたり(お互い)
外で変なもの食べてきて食事中に嘔吐したり…
発情期になれば家中にマーキングをするので臭くて寝られない。
一度枕にマーキングされて目眩がするほど臭くて、それ以来寝るときは匂いをかいでマーキングされてないか確認するようになりました。
最初はあんなに可愛くて仕方なかったのに、そういった事が重なるにつれ、どんどんストレスになっていきました。
受験や中学で悩んでいた時期も重なったからかもしれませんが、それは人間側の身勝手。
「邪魔するな」「うるさい」「汚い」「どっかいけ」
今思うとひどい言葉をぶつけてしまったと思います。
猫を飼う「良い面」ばかり見ていた
僕は最初に猫を飼う時、可愛いという単純かつ明確な「良い面」ばかりを見ていたのでした。
小学生低学年のときの自分は、そんなもんだったかもしれませんね(^_^;A
でも猫はぬいぐるみでもなければオモチャでもない。
「生き物」…なんですよね。
大変な部分もあるし、汚い部分もあります。
当たり前ですが、それって実際に飼ってみないと実感しないものでして。。。
小中学校の頃の僕はそれが分からなかったし、受け入れる余裕がなかった。
都合のいいときに都合のいいように振る舞うなんてこと絶対ないですし、
汚い面も大変な面も全て含めて「家族として受け入れる」ということなんですよね。
もしかしたら人間の子育てにも似た要素があるのかもしれません。
そんな僕がなぜ今、猫が好きで愛でるのか
それはたぶん、小中学生のころに自分の飼い猫にしたひどい仕打ちの贖罪(しょくざい)の要素もあると思います。
「もっと〜してあげれば良かった」という後悔と、「次迎え入れるときは絶対にそうしない」という気持ちが混ざってる感じ。
猫を飼うには、可愛くて癒されるという良い面と、生き物である以上色んな大変なことがあるという面の両方を知る必要があります。
それでも、あの可愛さに癒されたいと思う、もちろん猫にも「この飼い主のところに来て良かった」と思ってもらいたい。
そういった面を知ったからこそ、より猫に向き合いたいと思う部分が強くなったんだと思います(^_^)
なので「可愛いから」という理由”だけ”では、猫を迎え入れません。
今僕は一人暮らししてますし、仕事で1日いないし旅行なんて行ったら寂しい想いをさせてしまう部分もあります(ーー;)
ちゃんと面倒を見て責任を持って一緒に住めるようになるまでは!
単に「可愛い(o^ω^o)」だけ感じたいなら飼う必要はないでしょうから♪
猫の日だからこそ大変な部分も発信を…
2月22日「猫の日」は、SNSは可愛いニャンコの画像や動画で溢れていました♪
もう最高です(*´∀`*)
でも、そんな猫の日だからこそ「可愛い!」という良い面だけじゃなく、「こんなに大変なんだよ」という面もあっていいと思うんです。
今猫と共に生活している方々が経験した大変だったこと、それを知りたい・書いて欲しいとさえ思いました。
「それでもなお、猫を迎え入れたいですか?」
そんなメッセージが「猫の日」だからこそ、
まだ飼ってない人に伝わって考えるきっかけになったり、今飼ってる人にとって目の前にいる愛猫の存在を見つめ直す機会になったらいいな〜なんて思ったりしました(’-’*)
あとがき
ということで、今回は「猫の日」というものをきっかけに思い出した事、考えた事を書いてみました。
僕は実家で飼っていた猫に「可愛い」という癒しの面のみ求め、それ以外の大変な部分を拒否していました。
それを今とても後悔していて、次もし猫を迎え入れることがあれば絶対に同じことを繰り返さないと決めています。
ただ「可愛いから」と猫を飼うより、「大変なことあるけど、それでもこの子が好き」と思って一緒に過ごしたいじゃないですか(●´∀`●)
飼う飼わないを考えないにしても、あの猫の癒し効果は本当に不思議ですよね♪
猫カフェを考えた方は天才だと思います!マジで。
そんな猫の癒しを求め、また猫カフェに行こうと思った今日この頃でした♪
猫の日だからこそ、猫のこと可愛いだけじゃなく色んな面に目を向けたいですね(^_^)
んだらね〜♪
おまけ
高校生になる頃には僕も気持ち的に落ち着いてきたのか、飼い猫に冷たい態度を取る事は減りました。
大人猫になって狩りをあまりして来なくなって、のんびり過ごす事が多くなったからかもしれませんが(^_^;A
その頃にいた「カメ」という猫について以前書きました。
不思議な体験だったのでどうしても記事にしたかったんですよね(*^^*)
ご興味があればぜひ読んでみてください♪