読む持久力、書く持久力、会話の持久力って凄く大事な気がする
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持久力大事!のぐちょ(@yuukinogutyo)です(^_^)
皆さん、持久力さは自信あっが?
マラソンどがランニング、サイクリングんねよ。
「文章を”読む持久力”」です。
はてなブログば始めでもうすぐ2年だげんと、ブログば書いたり読んだりしてで、
この”読む持久力”さついて思うどごだっけがら今回書いでみっかど思います(*'-'*)
訳
皆さん、持久力に自信はありますか?
マラソンやランニング、サイクリングではありません。
「文章を”読む持久力”」です。
はてなブログを始めてもうすぐ2年ですが、ブログを書いたり読んだりしていて、
この”読む持久力”について思う所があったので今回書いてみます(*'-'*)
読む持久力って何?
そもそも、文章を最後までしっかり読まなければならないというルールも義務もない。
気に入らない文章であれば読み流せばいいし、無視してもいい。
でも
「気になるけど長くて読んでるうちに疲れちゃう」
「読んではみたものの全然頭に残らない、何言ってるのか分からない」
これって結構もったいないと思うようになった。
後で余裕あるときに読んだら、すごく共感したとか分かったという事があったから。
五感と体が「身体的な持久力」だとすれば、五感と脳が「読む持久力」なのかな?
と思うようになった。
身体的な持久力と同様に、読む持久力も数をこなさなければ身に付かないように感じた。
のぐちょの読む持久力
僕は面倒くさがりなので、つい流し読みをしてしまう。
本はあまりそうでもないのだが、長文メールやブログがそうで、仕事のメールもあまりに読みにくいと感じると流し読みして、すぐ電話する。
これでもか!というくらい文字で埋まったブログ(改行なし)とかも最初の数行よんで離脱…(ー_ー;)
途中で読む気がなくなったり、まぁいいやとサッと目を通すのみ。
これを直したい。。(もう少し)
そう、僕の読む持久力は低い。
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読む持久力をつけるには…
ブログをやってるので、僕は読み手でもあるが書き手でもある。
書き手としては読み手に伝わるように、ちゃんと調べて書くことを意識してる。
しかしいざ読み手となると、MD(めんどい)フィールド発動して、流し読みとかしちゃう。大意をつかむつもりが全く違う解釈だったとかある。
文字でギッシリの文章や改行のない文章ではそれが顕著だ(・ω・ ;)
僕は読んで図解(頭の中で)できたらOKって人間なので、それができない内に読んでると「??」になる…。
僕の場合はただ読むだけじゃなくて、このイメージ作るところまで1セットなので疲れるし、面倒と感じるのかもしれない。
しかし出来てる人はそれが自然と出来ていて、意識なんてしてないと思う。
これは本を読むことや、いろんな人のブログを読むことで鍛えられるのかもしれない(* ̄(エ) ̄*)
本は著者の語りかけだと僕は思っていて、それは一方通行だが、
ブログは本より双方向になりうる。
コメントで話ができるし、Twitterやメアドを表示してる方だったら、そこで話もできる。
だから読みたい。
一言一句ではなく流れるように読む。
でもそのためにはまず、適当ではなく文字をしっかり見て認識することが必要かも。
「読む持久力」それは本をこれまで読んで来た数も影響するかもしれないが、
自分にとっても役に立つし、書いてる人からしてもよりメッセージが伝わるのでお互い良い関係だな〜とか思ったり♪
読む持久力と書く持久力
最近はTwitterやLINEスタンプとかSNSの発達で、どんどん「少ない文字数」でのコミュニケーションが増えた。
こればっかりしてたら「読む持久力」なんて付かないよね。
ブログは人によって文の長さもスタイルも違う。
それを読むのは楽しいし、それによって読む持久力もつけばいいな。
というか読んでれば付くんじゃない?と勝手に思ってるヽ(*・ω・)ノ
書く持久力と読む持久力は別。それぞれ経験値により異なる。
マラソンみたいな感じかもしれない。
走らなきゃ体力つかないように、書かなきゃ体力付かないし、読まなきゃ体力つかない。
読む持久力は十分!なのに、書く持久力があまりないという人もきっと大勢いる。
しばらくブログ書かないと、どう書いていいかわからない、書いててまとまらない…というのは、「書く持久力」がちょっと落ちちゃったってことなんだと僕は思っている。
しばらく走らないと、いざ走ったときに息切れしちゃうみたいに。。
会話に”長文”なんてことあまりないけど、会話のラリーは「会話の持久力」につながる。
だからこれも最初はしんどいし面倒。
仲いい人とは言葉なく通じたりする。
結局それは、これまで積み上げて来た会話のラリー数が多く、
次どう返すか、こんなときにどう思っているか察することができるからだと思う。
持久力がついたが故にできる余裕、推察というか…
でもこれもきっと、誰とも話さなければ身に付かない。
読む持久力、書く持久力、会話の持久力はあれば
将来きっと役に立つし「行間を読む」感じも、そういった持久力を鍛えるような経験と、それから生まれる余裕によって出来るようになったことなのだと思う。
まとめ
ということで今回は「持久力」について考えてみました。
「読み切る、ちゃんと読むクセをつけたい。」
そう考えてノートに書き出していあたら思いのほか広がっちゃいました(;゚∀゚)
まとめると…
・そもそも文章を最後までしっかり読まなきゃいけないというルールや義務はない
・身体的な持久力と読む持久力は異なる
・のぐちょの読む持久力は低い
・読む持久力が低いのはもったいない。書き手の本意を受けとり損ねてしまうことがあるから
・本を読む事やいろんな人のブログを読む事で鍛えることができるかも
・最近はTwitterとLINEによって「少ない文字でのコミュニケーション」が増えた
・これで読む持久力は付くのか?
・読む持久力以外にも、書く持久力、会話の持久力もある
・久しぶりにブログ書こうとして、上手く言いたいことがまとまらないのは書く持久力が落ちてるから
・会話の持久力をつけるには面倒だし、しんどい。
・仲のいい人と言葉なく通じたりするのは、これまで膨大な会話のラリーがあったから
・持久力をもつことによる余裕が、その人の余裕にも繋がる
今回書いたのはあくまで僕が感じたことで、既に読む持久力がある人からすれば、当たり前のように出来ていることだったりします。
ピアノ弾ける人にとって弾けることは当たり前ですが、弾けない人からしたら凄い芸当に見えます。
この持久力も同様で、持久力ある人にとって当然のことが、無い人にとっては凄いことだったりするんです(*'-'*)
持久力、付けていきたいと思います♪
ブログを書き続けているのは、この「書く持久力」を付けたいと思っていて、
実際に仕事でもメールや文章を書く上ですごく役立っていると実感しているからです(o^ω^o)
なので今後もブログを書き続けますし、読む持久力や会話の持久力も付けていきたい。
夜の持久力はナイショです♡←突然の下ネタ
んだらね〜♪
※追加
この記事は「持久力が必要な記事や文章を書くな」と言いたい訳ではありません。
読み手として”自分が”持久力を付けることで、触れる世界や吸収できることが広がるな〜♪と感じたので書きました(*'-'*)
書くことも会話もそうです。
だから長文ブログも大好きですし、その人が思った事をぶつけてる記事も読みたい。
といって自分が長文ブログ書く言い訳だったりして(。-д-。)ヘヘ…(笑)