のぐちよの”気になる”ブログ

万年筆とカフェ、音楽と空、そして猫が大好き♪ ”気になる”と思ったことをつらつら書いたり考えてみたりするブログ

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地元の匂いと時の流れ。「残したい」と思う感情

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 photo credit: Sunset via photopin (license)

 

時の流れを感じる、のぐちょ(@yuukinogutyo)です。

 

いきなり何を言い出したかというと、実家に帰省したとき、そう感じる機会があったからです。

今回はその辺のことを書きたいと思います。

 

地元のにおいと時の流れ

今年の3月に父方のばあちゃんが亡くなった。

nogutyo.hatenablog.com

葬式のため実家のある山形に返ったわけだが、

手配などは両親が進めてくれていたとは言え、納棺、翌日の火葬・葬儀などバタバタだった。

 

葬儀も全て終わり、賑やかだった実家は静寂に包まれた。

ガヤガヤしていた茶の間や仏間がガランとして誰もいなくなり、

人でいっぱいだった家の中が、家族だけになった。

 

落ち着いて父方の実家を見るのは、本当に久しぶりだ。

いつも帰省した時は、母方の実家に寝泊まりしているということもあり、

父方の実家にはあまり来れていなかったから。

(交通の便が悪い。車必須。近くにバスなし電車なし。)

 

だから懐かしくて、僕はなんとなく家の外に出て、

実家の前の道路に立ち尽くした。

実家を見ると多少古くなってきても、僕が生まれ育った家であることに変わりない。

匂いはリアルに当時の記憶を呼び起こす 

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風が吹いた。

風の匂いが昔のままだった。

 

上手く表現できないが、その匂いを感じると「やはりここが生まれ故郷なんだな」と思える。

母方の実家も確かにそうではあるが、幼少期から小中学校・高校と、父方の実家はやはり住んでいた年月が違うからか余計にそう思う。

 

誰もいない道路、夕暮れで赤く染まり、そして暗くなっていく空、

畑や田んぼの土の薫りを含んで吹いてくる風…

 

まるでタイプスリップしたかのような錯覚に陥った。

明かりの灯る周りの家々から、あの頃の人たちが出てきそう。

幼い僕が実家から出てきそう。

亡くなったばあちゃんが出てきそう。

そう思えたらすごく切なくなった。

 

毎日暮らしていれば、それが日常になる。

離れて一人暮らしして、実家が日常ではなくなるから、懐かしくなり切なくなったのかもなぁ

時の流れと命の繋がり

帰り道、部落の中はあまり変わっていないことに気づいた。

確かに建物は古くなってきているだろう。でも夕暮れでハッキリそれが見えない。

そうすると、まるで家は変わらず住んでいる人だけが老いていく、そんな風に感じた。

 

葬儀で参列した方々を見ていて、幼い頃の覚えている周辺の家の人たちは、亡くなったり高齢になっていたり…時の流れを感じた。

僕の家においても、妹の子供が生まれ、ばあちゃんが亡くなった。

父母はいつしか祖父祖母になった。

そして子供はまた親になり親は祖父祖母になる…

そうやって命は繋がっていくんだな〜と感じた。

 

こんなこと思った事もなかったのに。。

生死と向き合う機会だったからかもしれない。

 

「残す」ということ

今はまだそこまで実家周辺の風景に大きな変化はありません。

でもこれから再開発とか、周辺の家の方々が改築するとか、当時を面影のある風景がどんどん減っていくんじゃないか(恐らく確実に…)

 

今でも当然ながら僕が幼いころから色んな物が既に変わっている。

僕の昔の写真には、当時の周りの風景が一緒に残っています。

でもそれ以降の写真はあまり撮ってないし、部落や街の様子を残しているものはない。

全て思い出の中。

それでも構わないですが、僕は「その時」「その瞬間」を残したいと思いました。

 

生きているときは当たり前だった、ばあちゃんと写っている写真も、

ばあちゃんが亡くなった今は、とても大事なものになりました。

だってその写真の中のばあちゃんは、確かに生きているから

 

大袈裟かもしれませんが、親が子供の写真や映像を撮りたいと思うのも、

単に可愛いとか記録用とかもあるでしょうが「残したい」という無意識の想いによるのではないだろうかと思ったりします。

その子だけではなく、その周囲の人たちにとっても思い出になるから。

生きていた証拠になるから。

 

書き記すことも 

日記なども同じだと思います。

特に「手書き」はその時の感情が文字に出たりしますし。

 

僕は日記を書いたり何か記録を残すときは、そのときの”感情”も一緒に書き記すことにしています。

そうすれば、そのときの感情とセットで記憶が呼び起こされてくるから(^_^)

 

もちろん悲しい・悔しい・怒った出来事とかも同様なので、読み返すのに注意が必要ですが(笑)

それでも、それを書いた当時のその感情は本物だった訳で、偽りようのない当時の自分ですよね。

そういった意味では有意義かな?とも思います。

 

あとがき

ということで、今回は地元に帰ったときに感じたことをドカッとまとめて書いてみました(^_^;A

これを感じたときに、とにかく忘れないうちに書き留めておきたくて、適当な紙の裏に殴り書きしました。

 

こういった感覚的なものってすぐ忘れちゃいますが、案外大事だったりしますよね(^_^)

そういうのを今後も書いていけたらと思います♪

 

おまけ 

以前、地元だからこそ分かる匂いについて記事にしたことがありました。

もう2年前の記事ですね。懐かしい…

nogutyo.hatenablog.com

そこでこう書きました。

「風のにおい」

地元の風の匂いは「あ、地元の匂いだ」と分かります。

きっとこれはその地域の川や土、畑や田んぼ、家々や車の往来、そして風向きなど

いろんな要素が絡まって「その土地に吹く風の匂い」になるんだと思います(*'-'*)

そして、こうも書きました。

単純な話、蝉の声で「夏が来たな〜」と感じるのは一般的です。

でも「山形の夏だな〜」と感じるのは蝉の声と土の匂い、風の温度と空気の匂い

その全ての状況が揃ったときに「地元」たり得るんです♪

 

だから旅行先で似たような状況になっても、それは”旅先での情緒”であって、

決して懐かしさは出てきません(僕の場合)

こういった感覚ってやっぱりいつも感じていて、

それが地元の懐かしささんだろうな〜と思ってます(^_^)

 

一人一人にある「地元の匂い」

気になります♪