「自分たちのサッカー」って何?目的それとも手段?
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日本負けちゃいましたね〜 のぐちょ(@yuukinogutyo)です。
今回のW杯、日本の結果は1分2敗。
残念ながら決勝トーナメント進出は叶いませんでした。
日本代表の選手方はお疲れさまでした。
また4年後ですね!(^_^)
結果は結果ですので、素人の僕はサッカー的な原因を考えることも対策を言うこともできないのですが、今回見ていて思った事を書いてみようかと思います。
※僕はサッカーに関して素人ですし、W杯や日本代表に特別な想いは持ってません。
今回は僕が思った事をそのまま綴っていて、個人的推測などもありますので
気分を害する方もいるかもしれません。
あくまで個人的なぼやきなので、そういったものが苦手な方、即閉じ推奨です(; ^ω^)
「自分たちのサッカー」って何?
初戦のコートジボワール戦は2−1で日本の負け、長谷部選手をはじめ多くの選手が「自分のサッカーができなかった」とコメントしてました。
僕はそれにモヤモヤ。
「自分たちのサッカー」ってなに?
攻撃的なサッカー?チームとしての組織力のサッカー?
具体的なところは選手のみぞ知る、ということでしょうが、
今回の大会、特に第1戦の試合後インタビューを聞いていて
「自分たちのサッカーを、ここのピッチで表現できなくて負けてしまった」(長谷部選手)
といったようなコメントが多かった。これは
「自分たちのサッカーをすれば勝てた。それができなかったから勝てなかった」
そう言っているように聞こえました。
しかし、これはまるで「自分たちのサッカー」をやることが目的のように感じます…
う〜ん( ̄^ ̄ ;)
「自分たちのサッカーやる」って目的じゃなくて手段ですよね。。
世界に「自分たちのサッカー」を目指す国はない
スポーツ評論家の玉木正之さんのコメント
世界に「自分たちのサッカー」を目指す国はない。
勝つことこそが目的で、勝った結果が自分たちのサッカーだ。
豊かな日本の選手たちは勝利を渇望せず、学んだことを実現しようとした。監督の采配により、ギリシャ戦で戦術を普段と違うパワープレーに変更した際、戸惑いを見せたことにもそれが表れた。
後半の「豊かな日本の〜」の部分はともかく、
今回の日本代表の中で「自分たちのサッカーをやる」という意識が強すぎたのかもな〜と感じました。
逆転負けというショックを「自分たちのサッカーが出来さえすれば勝てる」と言う自信で打ち消そうとしていたようにも。。
一方で、内田選手の言葉が印象的でした。
「W杯は勝つのが目標なのか、自分たちのサッカーをすればOKなのか。」「自分たちのサッカーが出来れば勝てると思うのか、相手が自分たちのサッカーをさせてくれないくらい高いレベルと思うのか」
人それぞれの考え方じゃないですか?
選手だけじゃなくて、日本で見ている人もそうだし、(マスコミの)皆さんも。
この言葉が、内田選手がチームやマスコミ?に対して持っていた違和感を表しているように思います。
「自分たちのサッカーをすれば勝てる。」
そういった”空気” に対し、気を使いつつ内田選手は思うところを吐露したように感じます。
勝つために何をするか考えればいいじゃないですか
ゲームをやっていくなかで自分たちで判断して。ベンチからの声を待つんじゃなくてね。
チーム内でももしかしたらこういったズレが既に生じていたのかもしれません。
W杯で勝つことと、自分たちのサッカーをすることの間で、
同じ方向を向いているようで実はちょっとズレている。。
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「自分たちのサッカー」という便利な言葉
テレビ番組やサッカー番組を見てて
勝った時は自分たちのサッカーができた
負けた時は自分たちのサッカーができなかった
といった感じのコメントが出てくることもあった。
「自分たちのサッカー」とは本当の敗因や勝因を曖昧にする便利な言葉だな〜と思いました。
だってこれ言えばそれっぽいコメントになるんだもの。。
これで自分たちのサッカーやって惨敗したらどうするのでしょうか?
「本当の実力を出せたら勝てる。出せなかったから勝てなかった」というのは
負けた事、自分達の実力100%出しても勝てなかった時、それを認めたくないから
「自分たちのサッカーができなかった」とそれを保険にしているように感じました。
勝つパターンと自分たちのサッカー
どんなカタチであれ、出た結果が「自分たちのサッカー」です。
自分たちのサッカーをやって勝つのが理想かもしれません。
でもそれをやった、やろうとしたからといって勝つとは限らないのは今回の大会で周知の事実です。
結局のところ、スポーツにおいては「勝ったサッカーが正しい」ということなのだと思う。。
いくら自分のサッカーがやれても、勝たなければ意味はないのだ。
自分たちのサッカーをやって1回戦敗退より、がむしゃらにやったら決勝いってました
のがずっと意味があることなのだ。
”勝つパターン”が”自分たちのサッカー”であって
”自分たちのサッカー”が”勝つパターン”ではないと思います。
対戦相手ありきのサッカーにおいて「自分型」にこだわりすぎるにはリスクがあります。
コートジボワール相手のサッカーとギリシャなど他国相手のサッカーと同じでなければならないのでしょうか?
コロンビア戦くらいには「自分たちのサッカー」を口にする選手もあまり見られなかったので、こういった思考停止状態から脱しつつあったのだと思います。
そして自分たちのサッカーがする気概を持って望みましたが、残念ながらそれが通じなかったというだけのことだと思います。
まとめ
今回は見ていて感じたことをつらつら書いてみました。
気分を害する方がいたらごめんなさい。
でも素人目にはそう見えてしまったのです。
日本特有の”空気”というか「自分探し」に似たものを感じモヤモヤしたのでした(ー_ー;)
ってことで今回の記事のまとめ!
・ユニフォーム姿のニャンコ可愛い(*´∀`*)
・「自分たちのサッカーをすること」は手段であって目的じゃない
・世界に「自分たちのサッカー」を目指す国はない
・「勝つ事」が目的で、勝った結果が”自分たちのサッカー”
・「自分たちのサッカー」とは便利だけど、勝因も敗因も曖昧にする危険な言葉
・「自分型」にこだわりすぎるのはリスク
・自分たちのサッカーが勝つパターンではなく、勝つパターンが自分たちのサッカー
W杯、4年後に期待ですね(o^ω^o)
んだらね〜♪