のぐちよの”気になる”ブログ

万年筆とカフェ、音楽と空、そして猫が大好き♪ ”気になる”と思ったことをつらつら書いたり考えてみたりするブログ

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24時間テレビが見れるようになった不思議。変わったのは番組か自分か?

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 photo credit: lululemon athletica via photopin cc

 毎日「のせ猫」読んでデレデレ、のぐちょ(@yuukinogutyo)です(=´ω`=)ニヤニヤ

猫好きじゃなくても癒されますよ~♪ 

8/24(土)~8/25(日)は24時間テレビでしたね!

 内容紹介│24時間テレビ│日本テレビ

久しぶりに見ましたが、実は、僕は24時間テレビが苦手です。でも今年は多少その辺の抵抗感が減ったように思いました。

なんでだろ?と気になったので、ボーっと考えてみます。

24時間テレビが苦手な理由

小中学生のころは家族でよく見ていた24時間テレビですが、高校くらいから全く見なくなりました。

その最も大きな理由は「感動の押し売り感」でした。

 小さいころは感動しないまでも、良い話だね~と話していた記憶があります。

でも中学くらいから違和感を感じ始め、高校時代はむしろ24時間テレビが映ったらチャンネルを変えるくらい。見るたびに沢山の疑問と不信感が湧きました。

24時間かけてマラソンして何になるの?

なぜわざわざ障害を持った人と一緒に何かをやるの?

頑張ってる姿を見て感動する?勇気をもらいました?それ本気で言ってる?

パーソナリティが毎回ジャニーズなのはなぜ?

災害や障害をダシに感動させようとする演出やめろよ

などなど・・・

 

その辺の不信感は正直最近までずっとありましたし、今も拭えてはいません。

感動とは感情が”動く”ことで湧くものであって、誰かが”動かす”ものではないと思います。頑張ってる姿を見せるのはいいですが、演出がわざとらしすぎて、お涙ちょうだい感があって嫌でした。

24時間テレビを見ると「こんなに凄いこと達成したの。感動するでしょ?」という風に映り拒絶反応が出ました。歌も「負けないで」とか今でも苦手です。

僕が天邪鬼なのかもしれませんが、小さい頃から誰かに「こうしろ」と言われると絶対にしない子供でした。「なんで?」と聞き返す子だったので超生意気ですよね (^_^;)

まぁ勉強だったらあるある(笑)親に勉強しろと言われると、たとえ5分前まで本当に勉強しようと思っていても、急にやる気が失せるものです。

僕はそれが勉強だけではなく、他のことにも向くようで厄介。。。

「~して」と言われると「嫌だ!」と答えるくせに、褒められると進んでやっちゃう(笑)その辺は今も変わらないかも(*・ω-*)

 あとは、「こうするでしょ普通!」と言われると「あなたの言う普通って何?」と聞き返したくなるタイプです。面倒なトラブルになりたくないので言わないですが。

 

脱線しました。。僕が言いたいのは

人それぞれ感動したり考えたり涙するポイントは異なるのに、番組側が”感動自体”を提供しようとしているように感じて嫌だということです。

そしてもったいない。

”エピソード”だけなら100人いたら100人の感じ方を受け入れられるのに、全員を”感動”させようとするから拒否反応が出て離れていく人が出てしまうから。

※あくまで僕が感じていることです。素直に感動する方を批判するものではありません。 

なぜ嫌いだった24時間テレビを見れるようになったのか

それは番組の背景を少し調べたのがきっかけです。こちら

要は「こんな番組があってもいいんじゃないかな~」と思えるようになったから。

 

これまでは拒否反応から番組のHPなんて見ませんでしたし、目的なども考えたこともありませんでした。臭いものには蓋をして、見えないものは無かった事にする。

だからこれまで一度も「なぜ24時間テレビがあるの?」って事を考えてきませんでした。

24時間テレビは「福祉・環境・災害支援」の3つの分野を支援するためのもの。

募金もこの3つの分野に分配される仕組みになっています。

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(画像:番組HPより)

以下の画像は年度ごとの募金総額です。

震災のあった年は他の年度より多くの募金がされていることが分かります。

1995年:阪神大震災、2005年:スマトラ島沖地震、2007年:新潟中越沖地震、2008年:中国四川省地震、2011年:東日本大震災

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HPで歴史や番組スタートの理由、そしてこれまで支援してきた内容等を見て思った。

この番組は

”感動させよう”と障害を持った方や災害に遭って苦難にさいなまれている人をダシにしているのではないのだ。こういった人たちがいると”知ってもらうために”やっているんじゃないか、と。

「そんなことも知らんかったんかい!」と言われたら何も言えません。拒絶反応を示していた僕は番組で何を言っていようと聞こえていないのです。悪い部分に目がいってしまい、自分の否定的な意見を肯定するものばかり見ようとします。これは仕方なかったなと思います。

目的が”知ってもらうこと”であれば、見方は少し変わるのではないでしょうか?

ただドキュメンタリー番組にして受動的に支援を期待するより、チャリティー番組として積極的に知ってもらった方が、支援の必要な方にダイレクトに届ける事ができます。

ドキュメンタリー番組は好みもありますし、ただテレビで流すだけでは下手したら誰も見ないし何も変わりません。チャリティー番組にすることで「震災や福祉の現状」を知る人が増え、募金や地域TV局との連携イベントというアクションを用意することで参加型の番組にする。

じゃあ見ている人により積極的に参加してもらうには?

そこで出てくるのが芸能人といったところでしょうか。ただの一般人が呼びかけるより、よっぽどインパクトと集客力があります。有志だけが集まってイベントを開催して、10億円もの募金が集まるでしょうか?

視聴者としてもファンであれば会いたいでしょうし、募金と番組を応援しに行く十分な理由になるでしょう。芸能人側としてもこれだけの大イベントに関わることはイメージアップにもなりますし貴重な経験にもなります。事務所的にもスポンサー的にもおいしいでしょうね。

ただ出演して終わりだとあまりにも無機質なので、障害者の方と一緒に何かに挑戦するということで、より番組として面白くしようとしてるのかなと思いました。

それが逆効果と感じるかたも当然いらっしゃるとは思いますが。

 ん~なんか文章が下手なので、褒めてるんだかけなしてるんだか分からんくなってきた(・ω・;)

変わったのは番組ではなく自分っぽい

こうやって考えてみると、変わったのは番組ではなく僕自身の捉え方のようです。

まだまだ偏見がありますが、昔よりも一つの側面だけで判断しなくなったということか。。

あ、でも「24時間テレビ最高!感動をありがとう」とかは思いません。

天邪鬼気質なのか、キレイごとに聞こえる言葉が苦手なのです(> <)

この辺は長くなるのでまた別の機会に書きますね!

 

まだ疑問は残ってますし。。 

ラソンと出演者のギャラはネット上でも毎年話題のタネですね。 

こんな記事もあります。

www.menscyzo.com

 
正直マラソンは個人的にはいらないと思います。やるにしても24時間走らなくてもいいのでは?

「走ってる姿を見てもらうことで勇気を与えたい」

「頑張っている姿を見て勇気をもらいました」

これを聞くと、どうもモニョっと感じてしまうのです。。

 障害を持った方がチャレンジするのは、正直に凄いな!と思います。障害という一般的にはマイナスと言われる要素を受け入れ挑戦する。自分だったら立ち直れなそうな障害を乗り越えて笑ってる姿はグッときます。

でも「頑張っている姿を見て勇気をもらいました」と言葉にしてしまうと、なんか一気に軽いものになってしまった気がして嫌なのです。

そこで皆満足してしまってるような。。

本来なら勇気をもらったなら行動という形で日々の生活にプラスに作用させるはずが、言葉に出して満足して、翌日からまたいつもの生活に戻ってしまうような。。

そんな花火イベントでしかないようで嫌なのです。

キレイごとは嫌いです。でも具体的な成果を毎年出している以上、必要な番組なのだと思います。

番組として、イベントとしてやっている以上、芸能事務所やスポンサーなどビジネス的要素も出てくるし「チャリティーなんだからギャラなしやろ」とも言えません。出演者は仕事をしているのです。

 

キレイごと、ビジネス、チャリティー等いろんなものひっくるめて「こんな番組あってもいいんじゃない?」って皆がなったらいいなと感じてます。

 

う~ん、いつにもまして長文になってしまった (=´・ω・`=)

もっと短縮したいんですが、書いてるうちに言いたいことが増えてきて結局長くなってしまいます。。。

あと僕は考えながら思ったこと考えたことを書いていますので、支離滅裂だったり論理が破綻してるところ、思慮が足りないところがあると思います。

でもあえて書いてます。書くことでしか頭のモヤモヤを表現できないから。でも完璧に表現できない、そのジレンマ。

精進します!でも今はご愛嬌ということで ヾ(。・ω・。)